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釧路

さいはての駅に下り立ち

雪あかり

さびしき町にあゆみ入りにき

           -啄木

 明治41年(1908)1月20日夜9時30分、啄木は小樽日報社社長にして、釧路新聞社長でもある白石芳郎(1861~1915)とともに釧路駅に到着する。そしてなんと、それから2ヶ月半後の4月2日に函館から石炭船に乗船して北海道を後にする。釧路滞在期間はたったの二カ月半弱。一所不在。啄木の運命を物語るエピソードだ。

 上記の歌にについて怒鳴戸鬼院さんは「あまり熱がこもっていない」と記すが、この歌はしかし、日本語の美の極致を示す、啄木歌の最高傑作のひとつであると、私は思う。釧路想望歌が比較的控えめな(熱がこもっていない)のにはそれなりの事情がある。このことについては、誰よりも鬼院さん自身が十分に承知していることだろう。

 

よりそいて

深夜の雪の中に立つ

女の右手のあたたかさかな

 

 小樽の地で啄木との再会を待ちわびる妻節子の立場を勘案するならば、これがギリギリの作品的妥協点だったのである。

 しかし、宮崎郁雨と啄木の妻節子、および啄木の家族との相関関係はなんか面白そう。読むのが楽しみ。「カボチャの花の純情」よりも断然面白い。

 「カボチャの花」といえば、脚本家志望のイ・ソンウンのかみさんがいっこうに登場しないのは何故なのか。ソンウンが出ずっぱりなのに、かみさんが全然出てこないのは不自然だ。韓国の視聴者から「おかしくネッ?」とクレームが出なかったのだろうか。もっとも「カボチャの花」は「おかしくネッ?」だらけのドラマだ。それがまたたまらない魅力ときている。困ったもんだ。