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手毬花

 *昔の歌

 

ある夏の市場に買ひ手現れず

 意気軒昂と耕牛帰る

 

空中に満つ手毬花水中を

 輝き出づる君の踝

 

 牛市が立つのは田植えが終わった後の六月と、稲刈りが終った後の十月頃だったと記憶する子牛に代わって、年老いてもう出産能力のない我が家の母牛が売りに出されたのは、正確には秋であった。しかし、農村地帯、とりわけ豪雪地帯であるわが奥越後においては、季節は雪のない夏場と、雪に埋もれた冬場に大別されるので「夏」という言葉を選択したものと思われる。

 買い手が現れなかったのは事実。命拾いして市場から戻った牛と、長年慣れ親しんだ母牛が戻ってきたので子供たちはお祭り騒ぎの大喜び。引き換え父と母は黙り込んだままだった。当てにしていたいくばくかの現金は入ってこないし、家には子牛一頭が冬を越すための干し草と藁と雑穀類が備蓄されているのみで、母牛分の飼料はないのだから、踏んだり蹴ったりの状況である。今でも時々、囲炉裏の灰を見つめながら、黙り込んでいる父と母の姿が瞼に浮かぶ。

 二首目は労多くして残念な結果に終わった作品と言ってよい。「空中に充つ」とは手毬花が枝一杯に咲き満ちて様子ではなく、子供たちが手毬花を手毬として空中に打ち上げる様子。それをなんとか歌にしてみたかったのである。

 「水中を輝き出づる君の踝」とは、午前の田植え仕事を終えて、川水で足を洗って昼餉に向かう年長の女の子を表現したものなのである。「君」を「姉」にしたら多少は良かったかも。いずれにしても、「手毬花」と「踝」をモンタージュ描写することに固執した、作者本人にしか解らない歌になってしまったと言える。