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水船

 *昔の歌

 

水船に裂傷の唇潜るらせて

 真夜を漂ふカジモドとなり

 

恋人の鞄の内側にまっくらな

 断崖ありき西日の教室

 

 どういう事情かは知らないが、作者は真夜中に唇に裂傷を負って外から帰ってきた。急いで流し場の水船に顔を突っ込んで傷の痛みにたえる。痛みは容易には去らず、屈んだ姿勢を崩すことができないので背中に時々痺れが走る。「そうだ、いまの俺はカジモドだ」と冷たい水に顔を埋めたまま作者は呟いた。すると唇の傷の痛みと背中の痺れが薄らいでゆくようだった。揺らめく水のかなたにエスメラルダの姿が見えるかのようだった。

 

 一週間ほど前に仕事をしながら、NHKラジオスッピンをきいていたら、話題は小、中学時代の想い出話だった。授業中に女子が密かにメモの回し読みをしていたことなど。トークを聞いているうちに、これは用意された原稿を読んでいるにすぎないな、ということに気が付いた。学校時代の想い出として、共通の想い出と言えるもの実はほとんど無いのではないか。ほとんどが固有の想い出によって占められている。

 共通の想い出としてあるのは、あまり触れたくない想い出によって占められている。共通の想い出は滅多に語られることがない。従っていつまでも色あせることがなく、ネガフィルムとして個々の胸の内に封印されることになる。

 カジモド